フーテンのコンサルタントの雑感

ニートからフーテンのコンサルタントに進化しました。コンサルティング業界や、ソーシャルセクターのことについて投稿します。

チェ・ゲバラの行動と、インテリ層がそこから得るべき示唆について

チェ・ゲバラは米国の資本主義を後ろ盾にしたバティスタ政権に苦しむキューバの民衆を救うため、革命を牽引し、成功させ、新しい政権を樹立した。

 

ゲバラの偉大な点は以下の3点にあると思う。

①革命での戦闘の最中、医師としての経験を活かし、自軍だけでなく、敵兵や現地の農民の治療を医師として行った。
②政権樹立後は、大臣に就任してインテリ層になったにも関わらず、現場の労働者と一緒に汗を流した。
③理想の社会主義を追い求め、ソビエトに迎合せざるを得ないキューバを離れ、新しい革命を起こそうとした。

 

カストロは、革命のKFSは現地住民をいかに味方につけるかを知っていたため、ある程度打算のうえ、ゲバラに医師としての役割を与えたのだと思う。
一方、ゲバラは、その後の行動を見る限り、打算ではなく、使命感で医師としての仕事を全うしたのではないか。

 

カストロゲバラの関係性は、経営者と事業リーダーのようでおもしろい。
カストロはゲリラ戦と革命後の政権運用のKFSを理解し、理念との整合性をとりながら、適切なマネジメントを行った。一方、ゲバラは理想を重要視し、情熱と使命感で役割を全うし、それが結果として人々を導いた。カストロは現実主義者、ゲバラは理想主義者で、良い補完関係だったのではないかと思う。

 

今、ゲバラと同じ日本のインテリ層にとって、偉大なリーダーから得る示唆は何か?

 

一つ目は、あるべき世界を追い求めること。

 

インテリ層は世界から十分に恩恵を得ている。おかね、食事、おさけ、恋人、くるま、家、社会的な承認……。
こうした恩恵は「世界はこのままで良いのか?」という問いを想起させない。
厳密にいうと、NewsPicksやYahooニュースで、ロジックとファクト(統計データ)を使い、社会課題を論じることはするが、そこに当事者としての意識はない。

しかし、インテリ層は世界を見て見ぬふりはできないはずだ。理由として、
A.インテリ層が享受している恩恵は、対極にある、貧しく、社会的な承認もない人の奉仕のもと成立していること。
B.そうした世界のゆがみを認知し、理解していること。

多くのインテリは「世界の役に立つ人材になってほしい」「自分がされて嫌なことはしてはいけない」「人にやさしく」ということを教わると思う。そうした想いは大人になるにつれ、失われるのかもしれないが、「それが大人になるってことだよ」と、見て見ぬふりをするべきなのだろうか。

 

二つ目は、現場主義であること。

 

ゲバラは革命に参画する5年前、23歳のころ、「本だけでしか知らない南米を見る」ことを目的とし、バイク一つで南米縦断を実施している。モーターサイクル・ダイアリーズの多くは、コメディチックな現地人とのふれあいや悪行だが、現地で見た貧困や差別に苦しむ人に触れ、共感し、助け、代弁者になれない無力感を味わったことは、その後の革命参画につながった。

また、前述のように、革命成功後の大臣就任後も、現地の人とともに働き、汗を流した。こうした行動や社会課題の解決に非常に有効だと思う。問題(事象)と原因(課題)は、いつも現場にあるからだ。
※少なくとも23歳のゲバラにそのような意図はなかったと思うが。

インテリは、きれいなオフィスで統計データ(ファクト)を使ってロジックをつくるのが好きだ。また、ちょっとした現場ヒアリングで、彼らに言わすと、すべてを見抜くらしい。

こうした問題解決のアプローチには欠点がある。
A.統計データは、数字の世界であり、数字の背景にある人々の感情を捨象すること。
B.問題解決の型であるイシューアナリシスには限界があること。洞察と深さはあるが、枝葉末節は排除されること。

なお、B は問題解決の制約が厳しい(時間/お金/人が限られている)ため、仕方がないところはある。しかし「問題解決はイシューの特定が重要」「解決可能かつ効果が出そうなイシューに注力する」とし、枝葉末節として切り捨てた事象は、本当に枝葉末節だったのだろうか。

 

このようなインテリ主導の問題解決の「問題」の対応策はある。つまり、現場の当事者が問題解決を主導することである。
インテリは言語化の手助け、つまり構造化、因果の整理はするが、あくまで黒子となった方が良いと思う。エゴと社会的承認を捨てるのである。富と社会的承認は当事者にこそ与えられるべきだ。
このようにいうと「現場やソーシャルセクターの人間には問題解決はできない」という声を聞くが、本当にそうだろうか。知識のコスト/価値が劇的に低下している時代に、自分たちの有用性を残そうと、抗っているだけではないか。

ただし、インテリが全く関与しないわけではない。当事者を支援することは必要だ。
そのために、ゲバラのように、現地にいき当事者と同化するべきだ。
「エリートの私」と「貧しい他人」ではなく、「同じ世界に生きる共同体」になるということだ。
日本人は元来ムラ社会で生きてきた人種だから、できるはずだ。

 

最後に、自分も批判しているインテリと同じ人種であることに恥じたうえで、筆をおくこととする。